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(グッディーズ・レーベル)
数あるミュンシュの幻想交響曲の記念すべき第1回目の SP録音がダイレクト・トランスファーの鮮烈な音で甦る! 戦後間もない頃のパリ音楽院管弦楽団の名人芸が聴ける 「ボレロ」もカップリング

(グッディーズ・レーベル)
数あるミュンシュの幻想交響曲の記念すべき第1回目の SP録音がダイレクト・トランスファーの鮮烈な音で甦る! 戦後間もない頃のパリ音楽院管弦楽団の名人芸が聴ける 「ボレロ」もカップリング

グッディーズ(日本)

数あるミュンシュの幻想交響曲の記念すべき第1回目の
SP録音がダイレクト・トランスファーの鮮烈な音で甦る!
戦後間もない頃のパリ音楽院管弦楽団の名人芸が聴ける「ボレロ」もカップリング

78CD-3003(オープン価格)
ベルリオーズ:幻想交響曲 作品14
①Ⅰ- 夢と情熱 (1) (4:38)
②Ⅰ- 夢と情熱 (2) (3:38)
③Ⅰ- 夢と情熱 (3) (4:17)
④Ⅱ- 舞踏会 (1)(3:04)
⑤Ⅱ- 舞踏会 (2)(3:04)
⑥Ⅲ- 田園の風景 (1) (3:35)
⑦Ⅲ- 田園の風景 (2) (3:59)
⑧Ⅲ- 田園の風景 (3) (2:39)
⑨Ⅲ- 田園の風景 (4) (4:08)
⑩Ⅳ- 断頭台への行進 (4:26)
⑪Ⅴ- 魔女の祝日の夢 (1) (3:55)
⑫Ⅴ- 魔女の祝日の夢 (2) (4:38)
シャルル・ミュンシュ(指揮)フランス国立放送管弦楽団
仏 COLUMBIA LFX 880/85
(1949年9月9日パリ、シャンゼリゼ劇場録音) 

ラヴェル:ボレロ
⑬ 第1部 Part 1 (4:38)
⑭ 第2部 Part 2 (4:30)
⑮ 第3部 Part 3 (4:27)
⑯ 第4部 Part 4 (3:12)
シャルル・ミュンシュ(指揮)パリ音楽院管弦楽団
英 DECCA K1637/8
(1946年10月10日ロンドン、ウォルサムストウ・アセンブリー・ホール録音)
※ベルリオーズは1950年フランス・ディスク大賞受賞レコード。数種類あるミュンシュの「幻想」の最初の録音。シャルル・ミュンシュ(1891-1968)はストラスブール生まれ。生家は音楽一家でアルバート・シュヴァイツァー(1875-1965)の甥にあたる。生地の音楽院でオルガンを学んだ後、パリ音楽院でリュシアン・カペー(1873-1828)にヴァイオリンを学んだ。その後ベルリンでカール・フレッシュ(1873-1944)にも師事した。1926年ライプツィヒ音楽院の教授に就任。1928年-32年にはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団ソロ第一ヴァイオリン奏者をつとめ、ブルーノ・ワルター(1876-1962)やヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)のもとで演奏し、指揮法も身につけた。パリに戻って1935年にパリ・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者としてデビュー。1938年にはエコル・ノルマルのヴァイオリン科教授に任命された。1938年にはパリ音楽院管弦楽団の指揮者に迎えられ、1939年には同音楽院の指揮科の教授に任命された。1949年にニューヨーク・フィルとさらにボストン交響楽団と全米ツアーをし、クーセヴィツキー(1874-1951)を継いでボストン交響楽団の正指揮者となり1962年までつとめた。これはボストンに出向く直前にパリで録音された貴重なSPレコード。
ラヴェルは1946年パリ音楽院管弦楽団とのイギリス公演中の録音でミュンシュの英デッカへの初録音。英デッカのffrr録音が本格的に胎動しはじめた頃の素晴らしい録音で、パリ音楽院の名手たちのこぼれるばかりの妙技が聴ける。

※ご注意※
ノイズカットや編集は行っていませんので、SP盤特有の針音等のノイズが入ります。
盤面ごとのつなぎ編集も行っておりませんので、SP盤1面ごと(約5分)に音楽再生が途切れます。

※グッディーズ・ダイレクト・トランスファーとは?
グッディーズ・ダイレクト・トランスファーCD-Rシリーズは、新 忠篤氏の復刻音源をCD-Rで提供するもので、2006年の発売開始以来既に500タイトル以上を発売済みの大シリーズです。カザルスやコルトーなどのSP時代の定評ある名演から、世界初CD化の復刻音源など多彩なラインナップで好評を得ています。その音質はSPレコードから過去の偉大な演奏家の真の息遣いが聴き取れるものとして、ピアニストの内田光子さんなども絶賛しておられます。今回はこのシリーズからプレスCD第4弾として、ミュンシュのSP録音「幻想交響曲」「ボレロ」を発売いたします。

※特徴
戦前の真空管を用いた新 忠篤氏設計・制作の管球式可変フォノイコライザを使用して、適正なイコライジングカーブを設定。それ以外のノイズカットや音質補正等は一切行わず、ダイレクトにDSD録音機でマスターを作製。再生音はSP特有の針音ノイズはあるものの、これまでのSP復刻の常識を覆すような生々しい音楽性を再現しています。
SP時代の録音はSP盤1面ごとにその都度中断して行われていましたが、このシリーズでは各面をそのまますべて収録。つなぎ編集も行っていませんので、原盤ごとに途切れがありますが、SPレコードそのままを体験いただけます。

※SPレコード復刻の歴史を振り返って(新 忠篤)
アメリカでLPが登場したのが1948年(昭和23年)だった。一方イギリスではHMVがLPレコードを発売したのが1952年(昭和27年)10月だったから、4年も遅れた。因みに日本では日本コロムビアが1951年(昭和26年)にLPを発売した。遅れたのはレコードプレーヤやアンプ等の再生機の準備期間が必要だったからだ。LPが出ても一般の愛好家は従来の78回転SPレコードでも不便を感じていなかったと思われる。LP再生機が普及すると演奏時間の短いSPレコードは不便になり、SPの演奏をLPに置き換えて発売する所謂復刻盤LPが登場した。EMIのSP復刻シリーズである HMV/COLUMBIA Great Recordings of the Century が登場したのが1957年(昭和32年)10月だったから、LP登場の5年後だった。HMV/COLUMBIA Great Recordings of the Century はその頭文字をとってGR盤、復刻LPの代名詞となった。SPレコードは片面3~5分の収録時間で、演奏はその都度止めて収録された。LP復刻時には切れ目なく編集された。また復刻盤作成の原盤は、SPレコード原盤をLPと同じビニール盤にプレスしたテストプレス盤だった。それはシェラック盤に較べれば雑音は小さいが、LPに較べればかなり雑音が多い。LPは本来無雑音メディアだから、復刻音源はフィルタ使ってノイズ除去をした。復刻エンジニアは雑音ばかりが気になって、フィルタが音楽を損ねていることに気がつかなかったのかもしれない。そして元のSPレコードとはまるで違うものが生まれた。EMIのGreat Recordings of the Century シリーズは1966年10月に終了したが最後までこのポリシーを守り続けた。私はもの心ついて以来ずっとSPレコードに親しんでいた。大学を卒業すると就職先をレコード会社に決めた。2年間のレコード店回りのセールスマンの後に洋楽部勤務になった。海外原盤の国内発売業務の傍ら、自分の手でSPレコードの復刻を始めた。日本コロムビアのDXMシリーズがそれである。カペー四重奏団、ジョルジュ・エネスコ、ジャック・ティボー、フリッツ・クライスラー、エーレナ・ゲールハルト、ユリア・クルプなどのSP盤演奏をSP盤とそっくり同じ音で復刻した。それは私のGR盤への音の不満から出たもので、SPレコードの音が復刻LPから再現できるたことで、多くの支持者を得た。SPレコード再生には専用のフォノイコライザが必要で、市販の民生機のプリアンプに組み込まれたSP用とされたイコライザはおおまかな特性でプロ用には使いものにならない。試行錯誤を重ねるうちに、SPレコードが吹き込まれた時代に録音機材に使われていた真空管を使用すると、すばらしい再生ができることを発見した。私のアンプ作り歴は60年以上で、その目的はSPレコードをその録音された音をそのまま再生することであった。現在ではDSD方式のデジタル録音機がSPレコードの直接再生音をそっくり収めることが可能になった。これを「ダイレクト・トランスファー」と命名した。DSD方式は編集をする際、いったんPCMにするため音質劣化がある。したがってここでは盤面の編集はしていない。またフィルタ類も一切使用していない。SPレコードの生の音をCD化したものである。

グッディーズ・レーベル・カタログ

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