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ブルガリアの名指揮者エミール・タバコフのショスタコーヴィチ交響曲全集第3弾! 日本語オビ・解説付き!

ブルガリアの名指揮者エミール・タバコフのショスタコーヴィチ交響曲全集第3弾! 日本語オビ・解説付き!

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「ショスタコーヴィチ:交響曲全集Vol.3」
ショスタコーヴィチ:交響曲第7番ハ長調Op.60「レニングラード」

(演奏タイミング 27:19/10:52/18:33/17:43)

エミール・タバコフ(指揮)
ブルガリア国立放送交響楽団

録音:2011年6月13-17日、ブルガリア国立放送スタジオ1,ソフィア(セッション録音)
74:27、STEREO



※ショスタコーヴィチの交響曲第7番は、ドイツ軍によるソ連侵攻開始直後に作曲が開始。ドイツ軍に包囲、連日爆撃が行われ放棄もやむなしとされたレニングラードで大半が書かれ、レニングラードとその市民に捧げられた。開戦から1年もたたずに初演。ファシズムへの抵抗の象徴としてソ連内外で相次いで再演、特に人気だった米国では初演からの1年間で60回以上も演奏された。
「標題的音楽」から「純音楽」へ、解釈が180度転換したのもこの作品の大きな特徴だ。終戦から70年が経とうとしている現在(2014年12月8日)、《レニングラード交響曲》をファシズムへの勝利の象徴として、勝利の賛歌を壮大に打ち上げる演奏はほとんどなくなった。タバコフの指揮も、悲劇性や勝利の賛歌を強調した過度に劇的なものではなく、極めて理知的に展開する。第1弾の第4番、第2弾の第8番同様、音楽の全体的な流れは自然で、繊細かつしなやかな表現に好感が持てる。第1楽章冒頭の「人間の主題」は、弦楽器がダウン・ボウ、アップ・ボウを一音ごと交互に繰り返すが、弓全体を使ったテヌートのたっぷりとした響きは、まるでパイプ・オルガンのようだ。弦が冒頭より1オクターヴ上で「人間の主題」を奏でて静かになるまで、低音に比重をおいてオーケストラがすみずみまで明快に鳴り響いている。静かになった部分で現れる「平穏な生活の主題」(ヴィオラとコントラバスの伴奏は、交響曲第5番第1楽章主部の低弦とピアノの伴奏の音形と酷似している)のニュアンスのきめが細かく内面的で叙情的な表現は、音楽に潤いをもたらしている。小太鼓の規則的なリズムにのって「戦争の主題」が楽器を替えて執拗に繰り返され、次第にオーケストレーションが厚くなってゆく箇所は、この交響曲を代表する部分だが、決してアッチェレランド的にテンポを煽るのではなく、端整で堅牢な造形性に貫かれる中で、デュナーミクと音色的コントラストを中心にして効果を上げていく点は、タバコフの類まれなバランス感覚を物語っている。第2、第3楽章も、研ぎ澄まされたディテールと心に染み入るニュアンスに満ちている。とりわけ第3楽章後半、しばらく弱音が続いたあと、コラール主題が再現された時に「パッ」と光が差したようになる瞬間の宗教的な煌きは、この演奏の孤高のごとく深い内面性の象徴になっている。終楽章は、鮮明なディテールの処理と確信に満ちたデュナーミクで、音楽は加熱するが、過剰な演出は避け、終始洗練された表現を失っていない。したがって、音楽のスケールはあまり大きいとは言えないが、作品そのものがもっとも質朴な姿で語りかけてくるといった質の表現で、聴くほどに味わいが増してくる類の演奏ということができる。指揮者とオーケストラの作品に対する共感が、このような押し付けがましさが一切ない形で現れた演奏は多くなく、「純音楽」としての《レニングラード交響曲》の本質が十全に示された稀有な名演として、歓迎すべき新盤である。


 
ハンブルク・フィルのコンミス、カメナルスカによる
フォーレやプロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ

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フォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番イ長調Op.13
プロコフィエフ:ヴァイオリン・ソナタ第1番へ短調Op.80
ヴィエニャフスキ:グノーのファウストの主題による華麗なる幻想曲Op.20

ジョアンナ・カメナルスカ(Vn)、
イリーナ・ゲオルギエヴァ(Pf)

録音:2014年

※ジョアンナ・カメナルスカはブルガリア、ソフィア出身のヴァイオリニストでザルツブルクのモーツァルテウム音楽院でルジェーロ・リッチに師事、2002年にはザルツブルク国際モーツァルト・コンクールに第3位入賞を果たしている。その後、ヨーロッパ各地でソリストとして活動、デニス・ラッセル・デイヴィス、ピエール・ブーレーズらと共演。近年はNDR交響楽団で第2コンサート・マスター、ハンブルク・フィルのコンサート・ミストレスを務めている。艶やかな音色と確かな技術で今後が大いに期待されるヴァイオリニストの登場である。

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